「なりたい自分」レースを降りる

過去の公式メルマガより,2018,過去の厳選記事

 

いつもありがとうございます。

True Natureを生きる波動調整®です。

 

 

前回の記事では

 

波動調整®は

「本当の私」を思い出すプロセス

 

それは「なりたい自分」になる、とは違う

 

というお話をしました。

 

 

そうです。

 

何者かになるのではなく、

自分という存在の根本に還ることなのです。

 

 

何かを塗り固めて

飾り立てた嘘くさい誰かではなく

 

もしくは

 

完全武装フル装備で

戦闘準備万端な弱虫ではなく

 

 

削ぎ落とし脱ぎ去っていった先に残る

守られる必要のない自分の本質です。

 

 

嘘がない自分

 

 

周りの目を気にして

 

過敏に反応している

 

 

必死でやり過ごそうとする

 

そうした後付けの自分ではなく

 

元々備わっていた純粋無垢な自分です。

 

 

 

これは”なろう”と思って”なる”ものではなく、

”目指そう”として”目指す”ものでもなく

 

元々そこにあったことを思い出すものです。

 

 

「外側に探しにいく」ことでもありません。

 

「内側で気づいていく」ことです。

 

 

「なろう」とすることを止めることも大事ですが、

頭で考えて止めても納得できるものでもないですので、

飽きるまでやり尽くして、違ったと気づくのも大切です。

 

 

人生の中で体験を重ねれば重ねるほど、

より浮き彫りになるものなのかもしれません。

 

 

(ただしそこにきちんと気づきがないと・・・)

 

 

 

何者かになろうとしている背景には

必ず「いまの自分」の否定が入ります。

 

 

“自分が変わらなければならない"

 

 

”現実が変わらないのは

自分が間違っているからだ”

 

“今のままの自分ではダメなんだ"

 

 

まずはこうした

巧妙に刷り込まれた嘘を

きちんと見破っていく必要があります。

 

 

“自分は誰かよりも劣っている"

 

 

その劣等感を直す方法は

誰かの上に立つことではありません。

 

 

それでは結局、

同じ比較の上にいるのには変わらないのです。

 

 

つまり、いくら"何者になろう"とも

いまの瞬間に抱いているその気持ちは

拭い去れるものではないということです。

 

 

表向きの現象は変わったとしても

体験している本質は変わらない。

 

 

それではどこまでいっても変わりません。

必要なのは変わろうとする努力ではありません。

自分を無理やりに変えようとする努力ではありません。

 

 

それは自分を虐めるだけの拷問です。

 

 

まるで劇的に生まれ変わることが

とても良いことのように見せられていますが、

 

 

果たして本当にそれは必要なのでしょうか?

 

 

自分は満たされてない・足りていない・劣っている

 

 

競争というベースが組み込まれている現代社会の中では

自然とそう思い込むように引っ張りこまれています。

 

 

 

この世界の息苦しさというのは

自分以外の存在になろうとしている不調和が大きいのです。

 

 

自分という存在であってはいけない、

自分という存在を抑えなければいけない

 

 

もういいでしょう?

 

 

波動調整®というのは

「本当の私」を思い出すプロセスです。

 

 

何者かになろうと

もがき苦しむレースを降りていくこと、

 

自分以外になろうとするのをやめていくこと

自分で自分を痛めつけるのをやめていくこと

 

そして、

本当に自分の向かうべき方向に気づいていくこと。

滞っている不調和を流れ動く調和へと向かうこと。

 

 

それは他の誰かに"なろう"とすることではなく

自分という身体で自分の人生を体験していくことです。

 

いま気づいた1人から調和を取り戻していくことで

全体の場というものも変わっていくものでしょう。

 

自分の存在を認められるということは

他者の存在も認めれられるようにもなっていくものです。

 

 

自分で自分を歪めて怯え苦しむ道を続けていきますか?

それとも自分という道を正々堂々と歩んでいきますか?

 

どっちの道が歩んでいますか?

 

 

「本当の私」を思い出していく道は

いつでも、その瞬間に開かれています。

 

 

少し思い返してみてください。

 

それではまた次回、ありがとうございました。