波動調整®は他と混ぜたら危険なの??
※こちらの記事は2016年10月20日配信の
波動調整®公式メルマガからの転載となります。
いつもありがとうございます。
よく複数のセッションを提供するヒーラーや
エネルギーワーカーという人と話をしたり、
サロンなどでセッションの説明を見たりすると
セッション①のエネルギーと
セッション②のエネルギーとは
エネルギーの中身が違うので
相性が悪く混ぜることができません。
とか、
1つのエネルギーを身につけると
別のエネルギーが出なくなる 。
とか
そんなことが書かれてたりします。
まぜるな
キケン!!
って、洗剤じゃないんだから
有毒ガスが発生するわけでもあるまいし。
おそらくですが・・・
こういうことを言ってる人は
自分がどういうことをしているのか
実際はよく分かってないのだと思います。
こういうケースで考えられるのは
(これはあくまで憶測ですが・・・)
教えている先生や協会の方針などで、
ほかの施術とは一緒に出来ません的なことに
共通の見解として持たされている。
("この商品だけをやれ"という囲い込みかもね)
もしくは責任逃れ的に
“プラクティショナー"が勝手なことをしないように
混ぜるとあなた及びクライアントが危険な状態になる、
などなど恐れを植え込まれている
(一種のスピリチュアルハラスメント的なね)
実は"まぜるな危険"は見えない世界を利用した
“大人の事情"であることもありそうです。
では
波動調整®の場合はどうでしょうか?
そもそもが波動調整®というもの自体が
“エネルギーワークじゃない"というのが
大前提としてございますが・・・
<詳しくはコチラの記事を参照下さい>
まぜるな危険は有り得ない!!
というか、
そんな概念すらない。
実際に趣旨・方向性が合うのならば、
何にでも一緒に共存できるものだと思います。
だって、“何をやる"かは関係なく
やる人自身の“在り方そのもの"が
“波動調整“ということだから!!
ヒーリングでもエネルギーワークでも
整体やカイロ、諸々のボディーワークでも
というか、カウンセリングやコーチングでも
心理療法や各種セラピーなんかでも
前提となる施術者の在り方が
波動調整®的な状態で行われるだけで、
おそらくまったく質の違うものになるはず!!
というか
それは日常の中のことでも同様です。
プレゼンや講演をするとき、
料理や掃除といった家事のとき
パートナーや子供と接するとき
普段とまったく違う状態で取り組めるようになるはず。
無自覚な自分に意識的になる波動調整®は
そうした日常の1つ1つの質を変えてくれるもの
なので、
波動調整は「まぜるな危険」ではなくて、
波動調整モードで積極的に何かに取り組んでみる!!
すると、生活の質がガラッと変わるはず。
私は他のエネルギーをやってるので、
波動調整®はちょっと出来ないんです・・・
とかいう方いらっしゃいますが
それはあまりに"もったいない"のです。
それにヒーリングや波動云々は"興味無し"でも、
普段の家事や仕事の能率や取り組み方、
対人でのコミュニケーションの質などを
もっと高めていきたいという場合にも、
波動調整®はお役に立てると思います。
なので、
どんな方でも学びを日々の中で実践出来ると思います。
そういう意味では受けるだけよりも
出来るようになる方が波動調整®の
本当の効果が分かるかもしれませんね。
<追記>2022年1月
いやぁ、我ながら
恐ろしいこと書いてますね(笑)
この当時は波動調整®を
ヒーリングという形でも推していましたから
実際に体験会などに来てくださる方の中には、
さまざまなエネルギーワークや
ヒーリングメソッドを学ばれている方が
多くいらっしゃっていたのを思い出します。
(今でも多いかw)
この手の質問も結構多かったですw
が、実際問題として
波動調整®は何かのメソッドではないので、
この世界で自分がどのように在るか
この宇宙の中でどのように生きるのか
そういった学びなので、
それまでの何かをリセットするものでものないし、
特別な新しい能力を得るものでもないので、
波動調整®の中身を学んだからといって
“何かをしてはいけない"というのはありません。
波動調整®は宗教的な団体ではないですから
何かをしてはいけないという教義がないからです。
(むしろそれを取り除く取り組みです。)
むしろ
波動調整®の在り方で
日常を過ごす。料理、洗濯、掃除など
その在り方で
誰かとコミュニケーションを取る
ここに本当の目的があるわけなので、
ボディ系の仕事や癒し系の仕事
対人のセッションなどを行っている方にとっても
波動調整®という在り方は役に立つというのは
今となっても間違いなく言えると思います。
結局、何をするにせよ
何をしてしまっているのかに自覚的であること
それに対して自分の中に気づきの観点があること
そこに意識を向けながら
外の世界と触れ合うというのが
何事においても大切なことだと思います。