意図と願望と執着

量子論と波動調整®,考察シリーズ

いつもお世話になっております。

 

まなお でございます。

 

このメルマガは波動調整®に興味を持って頂いた

本当に熱心な読者の方ばかりで嬉しい限りです。

 

さて、それでは今日も波動調整®についての

リアルなところを語って行きたいと思います。

 

 

<前回の記事はコチラ>

 

前回は量子の場における観測者の話から

『意図』というものについての話をしてきました。

 

『意図』しているのは誰か
誰がこの世界を観測しているのか
そこを明確にしてきました。
私たちが『意図』すると思ってする『意図』は
純粋な意味での『意図』ではない何かということです。
ディーパック チョプラ氏の著書の中に
『意図』とは何かの定義があります。

“結果に執着しない願望を『意図』と呼び、

この意図が願望の背後にある本当のパワーなので、
自然に物事が叶う原動力になるというものです。"

※同氏は波動調整®といっさい直接的な関係はありませんが、
『クォンタムヘルス』など量子・意識関係の著作で有名な方なので、
今回の考察の中で引用させていただくことにしました。
意図 = 結果に執着しない願望
仮にこれを採用するとするならば、
これは私たちにはとても難しいことのように感じます。
多くの場合
得たい結果が欲しくてコミットしたり
叶えたい願望を引き寄せようとしたり
それらを現実化させるために具体的に
意図を設定しようとしているわけだから。
むしろ、設定されるような『意図』
純粋な意味の意図とは違うものであり、
それ自体が『執着』と呼べるものかもしれません。
引き寄せようとして引き寄せるものなんて
そもそも私たちの人生に必要ないのでは??
これはよく波動調整®で問いかける質問です。
チョプラー氏の定義では
その“結果に執着しない願望という意図"
それが自然に物事が叶う原動力になるそうですが、
叶えたい結果が前提に置かれている時点で
3次元的・物質的なキャラクターの視座の中では
それは執着の無い純粋な意味での意図には成り得ない気がします。
でも、みんな”結果に執着しない願望=意図”を“する"ために
瞑想をしましょう、とか、意識を浄化しましょう、って
それ自体がもはや『執着』と言えるのではないでしょうか?
結果に執着しない願望 = 意図 ならば、
純粋な意図 の 状態である ということは
3次元世界においては不可能に近いものと思います。

 

波動調整®のテキストの中の言葉をご紹介します。
“『意図』することすら『DO』である" 
私たちの頭の中で『意図』していると思っているもの
発せられている波動・在り方=『BE』の部分ではないということ。

『意図』というのはキャラクターの思考でするものではなく

それらに先行して無意識に『意図』してしまっているものです。

 

 

波動調整®で扱う意識=波動というのは

表面的にしている“DO"の部分ではなくて

してしまっている“DO"を止めていくことで

立ち返り気づくことができる“BE"の部分です。

 

 

波動調整®とはいっさいのコントロールする意図・造り出す意図を手放して

施術をする側がその場で入ってしまっている余計なスイッチをOFFすること。

 

キャラクターとしての意図を手放している状態というのが大前提なわけです。

 

波動調整®は"執着によって結果を得たい"という
キャラクターとしての自分の願望を叶えるためのものではありません。
3次元での結果に執着しない願望=純粋な意図
つまり、クリエイターとしての私の直観に従うためのものなのです。

さて、今日は『意図』について深めていくためのお話から

『願望・執着』というものも含めて考察をしてみました。

 

また次回も違った角度からお話を深めていきたいと思います。

 

今日も長文を最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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量子論と波動調整®,考察シリーズ

Posted by manao