意図と手段(BEとDO)

量子論と波動調整®,考察シリーズ

 

いつもお世話になっております。

 

まなお でございます。

 

このメルマガは波動調整®に興味を持って頂いた

本当に熱心な読者の方ばかりで嬉しい限りです。

 

さて、それでは今日も波動調整®についての

リアルなところを語って行きたいと思います。

 

<前回の記事はコチラ>

 

 

前回は『意図』というものについて考察し

『願望』や『執着』と呼ばれるものについて話をしてきました。

普段何気なくしている意図というものが
どういう意識を持ってされているものなのか
“『意図』することすら『DO』である" 

波動調整®で扱う意識=波動というのは

表面的にしている“DO"の部分ではなくて

してしまっている“DO"を止めていくことで

立ち返り気づくことができる“BE"の部分

 

自分という存在の本質に気づいていくことです。

 

それはつまり

 

高位我のレベルで『意図』し終わっているものに気づくために

低位我のレベルで『意図』しようとしているものを止めていく

 

ここで波動調整®の基本である

『共振』の原理のところのお話を思い出して頂きたいのです。

 

 

人はただ存在しているだけで、場と共振し影響しあっている

 

 

何かを“する”ことで働きかけ影響を与えるのではなく

ただ“在る"だけによってだけで勝手に影響を与えている。

 

これに対して “ただ意識的になる" ということのが波動調整®

 

改めてですが、

それは何かを“する"こと以前の問題だということです。

 

しかしながら、多くの人が“する"ことで
問題が解決されていると信じ込んでいるのです。
さらに言えば
自分から“する"ことを重要視するのと同様に
他の人から“される"ことにも力を持たせています。
なので、
自らいろいろな手段を学び知識を得て
“する"こと・“出来る"ことを増やすことで
自分の人生の成功につながると考えていたり
逆に
いろんな人に出会い話を"受けた"り
ヒーリングやセラピーを"してもらったり"
何かを“される"ことで変化が起こると信じていたり
この3次元世界の中で”する”・"される"というのは
この世界の中の表面的な見え方の一部でしかなく、
それ自体に影響を与える"力"があるわけではないのです。
“する"・"される" といった "働きかけ"
言い換えれば、“DO"の部分が重要なのではなくて
それ以前の問題である“BE"の部分が重要だという話
何を”する”か、”される”
何を“与えた"か・“受けた"
何を“した"か・何を“された"
それらによって
私たちの人生が支配されることはないのです。
”する”・"される"
ここは一切関係ないのです。
同じ治療を“した"としても
同じ治療を“受けた"としても
全く同じ経過を辿ることがないように
“する""される"という手段の部分以前に
結果を決めている“BE"の部分があるということです。
(結果があって原因がある因果の倒錯についての話を覚えてますか?)
この“DO"の部分に活路を見出そうとする結果
本質的な“BE"の部分が見えなくなってしまうのです。
何かをしようとすればするほどに
自分が何をしているのかが分からなくなる。

波動調整®というのは

意図を手放した状態で“ただ在る"ことだけです。

 

それは“している"ことに気づいて止めていくことで

自分という本質が何を"起こしている"のかを識ることです。

 

どういう在り方に基づいて、この世界で行動をしているのか
いわゆる BE ⇒ DO ⇒ HAVE の流れに目を向けることです。
また別の言い方をすれば
自身の深い部分(在り方)ときちんと向き合うために
表面的な"する"こと=手段に逃げないということです。
波動調整®はいつでも
自分と正面から向き合っていくためのものです。

さて、今日は『意図』について深めていくためのお話から

『BE』と『DO』というものも含めて考察をしてみました。

 

また次回も違った角度からお話を深めていきたいと思います。

 

今日も長文を最後までお読みいただきありがとうございました。

 

↓次回の記事はコチラ↓

 

量子論と波動調整®,考察シリーズ

Posted by manao