水のような存在 -Be water-

直近の気づき,その他雑感

さっそく今日も

波動調整®ってやつについて

アレコレ語って参ります。

 

 先日、出かけた先で

白隠禅師の坐禅和讃

目にする機会がありまして

妙にストンと

落ち着くものがありました。

 

その冒頭の言葉

 

衆生本来仏なり 
水と氷のごとくにて

水を離れて氷なく  
衆生の外に仏なし 

 

つまり

 

私たちは元来が仏であり

その違いは水と氷のようなもの

 

水がないと氷にならないように

私たちの他に仏はない。

 

氷が溶けると

水になるように

 

自我の妄執が

解けて(融けて)

仏が内から現れる。

 

この例えを

まんま適用するなら

 

波動調整®︎とは

氷が溶けて水になること

 

 氷

 

自我の妄執

 

プラネタリウム

 

これを抜けていく。

 

自分に同一化したものが

剥がれていくことであり

 

エゴが必死に守ろうとしている

その氷の鎧が解かれていくこと

 

なのだろうと思います。

 

氷のように

固めることではなく

不動になることでもなく

 

水のように

常に変化の中にいて

流れと共に過ぎ去っていく

 

 

身も心も頭も

Be water

 

氷が水になるように

自然と融けていくこと

 

そんな感じかと思います。

 

さらに思ったことは

 

それは違うものになるではない点

 

氷は水が固まっているだけ

 

別の何かに

変わってしまうことではなく

 

不要なものを脱いで

余計な抵抗のない

自然な姿になるだけ。

ちなみにこの続きは

 

衆生近きを不知(しらず)して
遠く求むるはかなさよ

譬(たとへ)ば水の中に居て
渇を叫ぶがごとくなり

 

つまり

仏はすぐ近くに在るのに

遠くに求めるのは儚い

 

それはまるで水の中にいて

喉の渇きを訴えるようなもの

 

まぁ、そんな感じでしょうか?

 

波動調整®︎は

ただ在る、である

その本質と共に在ること

 

それはまるで

すでに水の中にいることに

気付くが如く、かなと。

 

そう、思い込むでもなく

そう、想い描くでもない。

 

まぁ、

違いは氷と水と言うと

大きな違いのようでもあるけれど

 

逆を言えば

その程度の違いでしかない。

 

 

何かに生まれ変わる必要はなく

外に何かを求める必要もなく

外の何かを変える必要もない。

 

氷を溶かそうとする必要もなく

水になろうとする必要はなく

仏であろうとする必要もなく

 

ただ氷が水に変わるように

削ぎ落としが自然と為され

ただオリジナルが溢れ出るよう

 

この坐禅和讃の最後は

 

此時何をか求むべき
寂滅現前するゆゑに

当所(とうじょ)即ち蓮華国
此身即ち仏なり

 

まぁ、そこは

詳しくは話さんけど

 

Be waterってことで

波動調整®︎ってやつを

気楽に(気長に)

実践してまいりましょう。

直近の気づき,その他雑感

Posted by manao