ただ一つのスピリチャルな瞑想とは・・・

直近の気づき,その他雑感

まいど、まなおでございます。

 

こちらは

波動調整®研究部だよりⅡ

 

さっそく今日も

波動調整®ってやつについて

アレコレ妄想しながら語って参ります。

 

というわけで

 

この週末は京都にて

某マスターのお話を聴いてきて

昨晩、帰って参りました。

 

いやぁ、いろいろと仕切り直しです。

 

お盆の京都で2日間にわたって

濃密な時間を過ごしてきましたので、

そこで感じたことをシェアさせてください。

 

※あくまで個人の感想です。

 

というわけで

 

当たり前のことですが

 

私たちの存在は

 

自分ひとりの力では生きていないということ。

 

これは本当に当たり前のことですが

 

意外と忘れてしまう感覚だったりします。

 

 

僕らは自分では食べ物を消化・吸収できない。

自らに負った傷も修復できないし

自らが取り込んだものを排泄することもできない。

 

この宇宙において

僕らが出来ることは

意外と少ない。

 

そもそも何かが出来るというのが

とても大きな勘違いなわけですがw

 

 

“何かをする"ということが

 

本来的には備わっていないこと。

 

このことを真に理解して

謙虚な気持ちで生きることは

まず第一の基本姿勢と言えるでしょう。

 

その上で

 

私たちが歩むべき道は

 

常に目の前にあること

 

それぞれの日常

 

そこに全てがある。

 

逆を言えば

 

いまの瞬間の

 

この目の前以外に

 

取り組むべきことは無い。

 

そういうことだと思います。

 

 

真の意味で

スピリチュアルな瞑想とは

 

“ただ観る"こと

 

それ以外には無い。

 

 

そんなような言葉がありました。

 

“ただ観る"

 

これは波動調整®においても

最も重要なワードの1つです。

 

 

むしろ私たちに備わっているのは

 

本来はそれしかないのでしょう。

 

 

“ただ観る"

 

それはもちろん"観ない"ことではないですし

 

角度を変えたり色をつけたりして

“観る"ことを世界を切り取ることでもなく、

外の世界に『力』を持たせることでもない。

 

あるがままをあるがままに

 

“ただ観る"

 

それが出逢うということでしょうし、

そこに起こることが『奇跡』でしょう。

 

 

そもそも観ているのは誰か?

それもとても大事なポイントです。

 

 

自分が何かを起こすのではなく、

ただ起こることと出逢っていく。

 

 

起こることを許すこと。

 

それは"ただ観る"こと。

 

 

その瞬間を

ただ見守る。

 

それによって

宇宙を体験すること。

 

その宇宙の中で

自分という存在が

還元されること

 

きっとそれは美しいことなのだと思います。

 

まぁ、そんなこんなで

京都から帰って来ての

最初に頭に浮かんだことを書いてきました。

 

その他のことは

また体験会や復習会などで直接会えたら

お話しできる範囲でシェアしたいと思います。

 

 

はい、

というわけで、

 

そろそろ終わりにしたいと思います。

 

興味のある方は

ぜひセッション会など

遊びにいらしてください。

 

 

今日も最後までありがとうございました。

 

(^o^)/

 

直近の気づき,その他雑感

Posted by manao